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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)6323号 判決 1970年6月29日

原告 松村信子

右訴訟代理人弁護士 坂根徳博

被告 伊藤商事株式会社

右代表者代表取締役 伊藤仙十

右訴訟代理人弁護士 海法幸平

主文

被告は原告に対し金八八二万七九二〇円および右の内八〇二万七九二〇円に対する昭和四四年九月一日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

原告その余の請求は、棄却する。

訴訟費用は、これを一〇分し、その八を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

本判決は、確定前に執行できる。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し、金一〇八七万円および内金九五四万円に対する昭和四四年九月一日以降支払済みまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。」との判決および仮執行の宣言を求め、請求の原因として、次のとおり述べた。

一  (事故の発生)昭和四〇年一一月二七日午前一〇時四五分頃、東京都豊島区千早町一丁目一三番地先道路において、信号待ち停車中のライトバン(登録番号練四な五〇七二号、訴外重盛和幸運転、以下被害車という)に小型トラック(登録番号品四ね二〇二五番、訴外亀井武司運転、以下加害車という)が追突し、このため、被害車に同乗していた原告は、後記のように受傷した。

二  (被告の責任)加害車の運転手亀井は被告の従業員であり、被告の仕事中であった。よって、被告は、加害車を自己のため運行の用に供したものとして、原告の損害を賠償する責任がある。

三  (事故までの原告の経歴)原告は大正九年三月二〇日女に生まれた。結婚し長女が出生したが、長女の死亡後、昭和三六年頃から事実上離婚状態に入った。正式には昭和三九年協議離婚した。

事実上離婚状態に入ってからは、自活の道を求め、昭和三七年四月、東洋鍼灸専門学校本科に入学し、鍼・灸、それにあん摩を習うようになった。在学中、昭和三九年あん摩師の免許を受けた。昭和四〇年三月、本科を卒業するとともに、鍼と灸の国家試験に合格した。昭和四〇年四月、同校に特設されている柔道整復科に入学し、昭和四〇年一一月の事故当時は、第一学年であった。昭和四二年三月には、柔道整復科も卒業する予定であった。

東洋鍼灸専門学校に通学するかたわら、昭和三七年ごろから、あん摩師として働き出した。昭和四〇年一一月の事故当時は、昼間は通学するほか、通学外の時間をもって、自分で直接あん摩師をして働いていた。夜間は、富士療養院に雇われ、ホテルの宿泊客に対するあん摩師をして働らいていた。昭和四二年三月に、東洋鍼灸専門学校の柔道整復科を卒業してからは、独立して開業し、鍼や灸、それに、あん摩師をして働いていく予定であった。

生来の健康に恵まれ、からだのどこにも悪いところがなかった。事故のとき四五才であった。

四  (負傷)原告は、頸椎むち打ち損傷を負うた。

五  (診療経過)原告は、事故発生の昭和四〇年一一月二七日から昭和四四年八月三一日まで、三年九月、月にして四五月にわたり、うち三年五月、月にして四一月は入院し、四月は通院して、医師の診療を受けた。

昭和四二年三月には、骨片の移植による、第四、五、六頸椎前方固定手術を受けた。

六  (後遺症)原告は、頸椎むち打ち損傷の遺症があるからだになった。

(一)  両下肢に運動障害があり、歩行不能である。

(二)  両上肢、両下肢、左側頸部、それに腰腹部の躯幹下半分に、知覚鈍麻がある。

(三)  肩関節に運動制限と運動痛がある。

(四)  頸椎に運動制限と運動痛がある。

(五)  昭和四二年一二月から昭和四四年八月までは、日常の身辺に他人の介護を要し、労働基準法施行規則身体障害等級表の第一級に相当する。

日時の経過により相当改善し、次の二年間で第二級相当、次の四年間で第四級相当、次の四年間で第六級相当、そして残りの期間中には第八級相当まで回復する。

昭和四四年九月以降も、長期にわたって、医師による診療を要し、特別の施設に収容され、機能回復訓練を受けていかなければならない。

七  (治療費)原告は、事故発生の昭和四〇年一一月二七日から昭和四四年八月三一日まで、医師の診療費二七五万円、家政婦による付添看護料三二万円、原告の母松村祇による二六万円相当の付添看護労働、それに、交通費ほか治療雑費一〇万円、合計三四三万円の治療費を要した。

八  (収入損、昭和四四年八月まで)原告は、事故発生の翌月昭和四〇年一二月一日から昭和四四年八月三一日まで、三年九月、月にして四五ヶ月、あん摩師をして働らき、一月平均三万八〇〇〇円の収入があるはずであった。

けれども、負傷のため全く就労することができず、あるはずであった収入全額、一七一万円の収入を失なった。

九  (収入損、昭和四四年九月以降)

(一)  原告は、さらに、昭和四四年九月一日から六〇才になる直前昭和五四年八月三一日まで一〇ヶ年、鍼や灸、それにあん摩師をして働らき、毎年度、一月平均四万八〇〇〇円年間五七六、〇〇〇円の収入があるはずであった。

(二)  けれども、身体に障害があるからだになったための労働能力喪失があるので、初めの二年はひきつづいて就労することができず、あとの期間は残った労働能力をもって働きつづけるが、あるはずであった収入の、つぎの四年は二〇パーセントに当たる一月平均九六〇〇円、年間一一万五二〇〇円、そして残りの四年は四〇パーセントに当たる一月平均一万九二〇〇円、年間二三万〇四〇〇円の収入を越えることはない。

(三)  このため、あるはずであった収入と身体障害後の収入差額、あるはずであった収入の、初めの二年は一〇〇%にあたる一月平均四万八〇〇〇円、年間五七万六〇〇〇円、つぎの四年は八〇%にあたる一月平均三万八四〇〇円、年間四六万〇八〇〇円、そして、残り四年は六〇%に当たる一月平均二万八八〇〇円、年間三四万五六〇〇円の収入を失うことになった。

(四)  そこで、各年度の収入損が当該年度の末日に発生するものとして、各年度収入損ごとに期間の初日昭和四四年九月一日から収入損発生日までの民法所定にかかる年五分の割合による中間利息を、ホフマン式の計算をもって差し引き、期間の前日昭和四四年八月三一日現在の一時払額を算出する。

そうすると、各年度収入損一時払額の合計は、三五四万円をくだらない。

一〇  (慰藉料)原告に対する慰藉料は、四〇〇万円が相当である。

一一  (支払受領)原告は、被告から、昭和四〇年一二月七日から昭和四二年一二月二八日までの間、何回にもわたって、合計三一四万円の支払を受けた。

そして、列挙の損害額に充当した。

一二  (弁護士料)原告は四二年五月三一日、東京弁護士会員弁護士坂根徳博に、以上九五四万の損害賠償請求権につき、被告を相手方にして訴を起こすことを委任し、依頼の目的を達した日、依頼の目的を達した金額を基準にして、同会弁護士報酬規定料一割四分の割合による報酬を支払うと約した。

このため、原告は第一審判決云渡日には、一三三万円をくだらない弁護士料を支払うことになる。

一三  (請求・遅延損害金)原告は、被告に対し、以上一、〇八七万円の支払を求める。

うち弁護士料を除いた九五四万円に対しては、事故発生後であり、損害や一時払額基準日の後である昭和四四年九月一日から完済に至るまで、民法所定にかかる年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告訴訟代理人は、「請求棄却・訴訟費用原告負担」との判決を求め、事実上の答弁として、

第一項は認める。ただし、原告の受傷は不知。

第二項は認める。

第三項は不知。

第四項は認める。

第五項は認める。

第六項については、昭和四三年二月二七日現在両下肢の運動障害のため歩行不能・四肢の知覚障害があったことは認めるが、その原因は後記のとおりであり、その余は不知。

第七項ないし第九項は不知。

第一〇項は争う。

第一一項は認める。

第一二項は不知。

と答え、事故の経過につき

一、加害車の運転手亀井は、当日午前八時一五分頃、被告会社新宿営業所を出発してから事故時まで約二時間三〇分の間何の異常もなく発進・停止を繰り返して来たが、本件交差点にさしかかった時、前方に三台の車両が信号待ちで一列に停車していたので、その後方に停車しようとし、ギアを入れてエンジンブレーキのかかった状態で近附き、あと三〇米のところでブレーキをかけたところ、突然油圧パイプに故障を生じ、ブレーキペタルを踏みなおしたが効かず、左側に回避することも左側進行車両があるためできなかったため、結局本件追突に立ち至ったものである。

二、右の次第であって、事故については運転手亀井には過失はなかったし、運行供用者である被告としても日常専門家による整備を怠っていなかったのでやはり過失はなく、構造上の缺陥も機能の障害もなかったのであるから、被告には賠償責任はない。かりにそうでないとしても、右のようなブレーキ系統の故障は予知不能の事態であるから、不可抗力に基づく事故というべきで、賠償責任はない。

と述べ、更に、原告の身体障害につき、

三、原告は頸椎むち打ち損傷を負うたのであるが、通例この傷害は数ヶ月で治癒するのに原告は既に四年余の入院生活をしている。しかしながらその治療経過を見ると、昭和四二年三月京都加茂川病院に入院し頸椎前方固定手術を受け、以後歩行能力を増して、同年一二月一四日一旦退院するに至ったものであるところ、その後一二月二四日午後九時一五分頃、コタツに坐ったままバタンと右後方に倒れ息苦しさを訴え、これが原因で再入院し、現在に至っているのである。この発作はヒステリー発作の疑いがあり、現在の症状は体質的あるいは心因的なものと考えられ、再入院後の損害は本件事故と因果関係がない。

四、かりに、因果関係があるとしても、原告は受傷の初期において頸部安静固定を主治医の指示の下に行うべきであったのに、安易に諸病院を転々としたため適切な治療時期を逸した疑いがあり、これは損害拡大についての過失というべきであるから、損害額算定につきこの過失を斟酌すべきである。

五、かりに右過失が認められないとしても、原告の現症は生来の体質的あるいは心因的なものが加味されているから、通常生ずべき損害の範囲を越えており、この越えた部分については被告には責任がない。

六、なお、原告主張の損害中、過去および将来の収入減については按摩師としての必要経費を控除すべきであり、また将来の収入減については身体そのものの経年性変化、労働能力の減退を考慮すべきである。と述べた。

原告訴訟代理人は、右被告主張の抗弁事実を争う、と述べ(た。)

≪証拠関係省略≫

理由

一、請求原因第一項中、追突事故の発生については当事者間に争いがない。また、同第二項の事実も当事者間に争いがない。従って、被告は自賠法第三条によるいわゆる運行供用者責任を負うべきものであるところ、被告は、右追突事故がブレーキの油圧パイプの突然の故障による旨主張するのである。しかし、同条但書による免責を主張するためには、単に、運行供用者や運転者が無過失であるのみでなく、車両の構造に缺陥がなく、機能に障害がなかったことも併せて主張立証せられるべきであるのに、被告の主張によれば、事故はブレーキの故障に基づくというのであるから、その主張自体免責の要件を否定していることになる。もっとも、その欠陥ないし障害から事故発生に至るのを回避することが現代工学技術の水準に照して到底期待不可能というのであれば別論であろうが、本件での被告主張はいまだその程度の詳細さを備えるに至らぬのであるから、結局免責主張はそれ自体失当といわなければならない。不可抗力との主張についても同断であって、結局採用することができない。

二、そこで、損害の判断に入ることとなるが、原告負傷に関する請求原因第四項・第五項の主張事実については当事者間に争いがなく、問題は、その後遺症状にある。被告は原告が途中一旦退院して以後の症状につき事故との因果関係を争っているので、治療経過をまず認定しておく。

≪証拠省略≫を総合すると、事故発生後昭和四四年九月頃までの原告の入院・通院先および始期、終期は、次のとおりである、と認められる。

期   間

入院日数

通院日数

病   院

事故発生

40・11・27~40・12・4

――

要町病院

40・12・4~40・12・28

二三

――

山川医院

40・12・29~41・1・29

――

五九

山川医院

41・1・30~41・2・17

一九

――

日赤中央病院

41・2・18~41・4・17

――

五九

日赤中央病院

41・4・18~42・2・28

三一七

――

伊豆韮山温泉病院

42・3・1~42・12・14

二八九

――

加茂川病院

42・12・15~42・12・24

――

一〇

加茂川病院

42・12・25~43・1・8

一四

――

加茂川病院

43・1・8~43・2・9

三二

――

京大病院

43・2・9~43・8・15

一九〇

――

加茂川病院

43・8・16~44・8・31

三八一

――

加茂川病院

44・9・1~44・9・16

一六

――

加茂川病院

44・9・17~以降

ひきつづき

入院の見通し

――

安立病院

三、右のうち、昭和四二年三月一日から同年一二月一四日までの入院期間の最後期同年一一月二九日以後の半月間は、整形外科治療を終って鼠蹊部ヘルニア手術のため外科に入院していたものと認められ、これは本件事故と相当因果関係ある治療と認めるべき証拠がないが、右転科以前の全期間については、その症状および治療経過が本件事故と相当因果関係を有することは、被告の明らかに争わぬところであるから、これを自白したものとみなす。また、昭和四二年一二月一四日加茂川病院退院後、同年一二月二四日の再発以前における一〇日間の通院についても、≪証拠省略≫に照らし、相当因果関係を肯認することができる。

四、問題は、昭和四二年一二月二四日の再発以後の症状が、本件事故と相当因果関係を有するか否かである。

(1)  まず、再発時の情況を見るに≪証拠省略≫によれば、昭和四二年一二月二四日、夕刻までは比較的気分が良好であったが、午後九時一五分ごろ、コタツに座った姿勢のままバタンと右後方に倒れ、息苦しさを訴えたこと、このため、家族の者が、加茂川病院へ往診を求め、加茂川病院からは午後九時三〇分ごろ往診したところ、意識混濁はないが、質問に返答できず、吸気時、喉頭部にヒュッヒュッと言う短い喘鳴を聞き、顔色良好、脈の緊張良好であったが、苦痛を訴えたので、加茂川病院の医師は、直ちに原告を病院まで連れて来て、酸素吸入等を施したこと、最高血圧一六〇ミリメートル、最低血圧不明、脈膊数一二〇、瞳孔は散大していたが、左右同大、対光反射も迅速かつ十分で、約一五分ほどで平静になり、はじめて痛いと発言したこと、どこが痛いかと尋ねたが返答なく、三〇分ほど後になって、左の腰痛を訴え、このとき、両下肢の自動を命じたところ、自動可能であったが、緩慢であり、疼痛のため速く動かせないと告げたこと、そこで、整形外科に二回目の入院をさせたこと、翌昭和四二年一二月二五日午後五時現在における加茂川病院医師の所見は、①起立不能、歩行不能。②両下肢自動運動不動であるが、ときにより自動するのを認める。③膝蓋腱反射亢進。④アキレス腱反射正常、搦を認めない。⑤下肢の筋緊張低下し、触れると冷に感ずる。⑥尿意、排尿感が明瞭には分からない。⑦臍より下四横指より末梢側に知覚鈍麻を認めた。⑧胸部圧迫感、両乳房の間に圧迫感と鈍痛を残す。⑨左腰痛を訴えたが、ラセグー氏徴候は陰性。⑩上肢のシビレ感もなく、指運動も良好であるが、触れると冷であるとの内容であったこと、以上の事実が認められる。

(2)  鑑定人大石昇平の鑑定結果を記載した鑑定書によると、昭和四三年二月二七日当時の症状は、右再発時とそれほど変っておらず、要約すれば、両下肢の運動障害のための歩行不能、四肢その他の知覚障害、頭重その他の不定愁訴が認められるというのである。そして、≪証拠省略≫により、本件口頭弁論終結当時にも、右の症状が依然として残存していることが認められ、更に大石鑑定をも合せ考えると、昭和四四年八月末において労働基準法施行規則体身障害等級表の第一級に相当する障害であると認められる。

(3)  では、かかる症状は、本件事故と相当因果関係を有するか。

一旦整形外科としては退院し、別に外科に入院してヘルニア手術を受けて退院して後の発作であるという点からは、この再発後の症状と直近のヘルニア手術との因果関係が問題となる余地がありうるが、≪証拠省略≫によればこの因果関係は明確に否定されるものと認められるし、他に原因とみなすべき具体的事情が積極的に主張立証されていない以上、本件事故との因果関係を問わざるを得ないのであるが、≪証拠省略≫によれば、前記日時における診察により前記各症状が認められるところ、頭蓋・脊椎のX線写真に異常なく、髄液造影によっても、脊髄腔の通過障害や脊髄圧迫などの所見がないので、両下肢の運動障害と四肢その他の知覚障害は少なくとも脊髄圧迫を原因として生じた症状ではないと断じうるのであり、また、脳および脊髄自体に器質的な変化があり、それが受傷時の外力に起因するものであれば、右のような運動障害は受傷直後ないしこれに引続く時期に起るべきものであるから、受傷時から二年余を経過した昭和四二年一二月二四日に前記のような発作を生じた後歩行不能に至ったという事実からは、受傷時の外力との当然の因果関係を肯定するのは疑問ありとしないわけにゆかない。

(4)  然しながら、≪証拠省略≫によれば、昭和四二年一二月一四日の退院後、同月一八日に至るまでの間に、下肢脱力感、シビレ感、それに、歩行困難が徐々に増強してきたが、同月一八日、歩行極めて困難になり、他人の介助を受けて加茂川病院に来院したこと、同院では、両下肢脱力感、右膝関節痛等、主として下肢の症状悪化を認め、畳の生活が下肢に及ぼす影響により下肢症状の増悪を来たすものと診断して、自宅安静を指示し、苦しければ往診をする、と告げたこと、同月二一日、加茂川病院へ通院した際も、左腰下肢の神経痛様疼痛とシビレ感のほか、右下肢に同様の訴えがあって、病院の診察では、膝蓋腱反射の亢進はあったが、搦は認めなかったこと等の事実が認められるのであって、一応外科を退院していたとはいえ、もとより完全には治癒しておらず、再発の時点である一二月二四日に先立つ一週間において右のような症状の増悪があったという事情と≪証拠省略≫とを合せ考えると、事故との因果関係を端的に否的することも妥当を缺くと考える。≪証拠省略≫によるも、同種の患者に比し原告の症状が著るしいことが認められるので、特異体質的要因の存在も想定されるのではあるが、症状の発現自体を特異体質のみに基因するものと断ずべき証拠はない。

(5)  右のように、肯定の証拠と否定の証拠とが並び存するのであるが、当裁判所は、これらを総合した上で相当因果関係の存在を七〇パーセント肯定する。このような場合、相当因果関係があるのかないのか、そのいずれか一つで答えねばならぬものとすれば、七〇パーセントの肯定の心証を以て十分とし、以下損害の算定に入るか、七〇パーセントでは因果関係を肯定する心証としては不足するとして、再発後以後の損害賠償請求を全然排斥するか、二途のいずれかを選ばねばならぬこととなる。

しかし、当裁判所は、損害賠償請求の特殊性に鑑み、この場合、第三の方途として再発以後の損害額に七〇パーセントを乗じて事故と相当因果関係ある損害の認容額とすることも許されるものと考える。けだし、不可分の一個請求権を訴訟物とする場合と異なり、可分的な損害賠償請求権を訴訟物とする本件のような事案においては、必ずしも一〇〇パーセントの肯定か全然の否定かいずれかでなければ結論が許されないものではない。否、証拠上認容しうる範囲が七〇パーセントである場合に、これを一〇〇パーセントと擬制することが不当に被害者を有利にする反面、全然棄却することも不当に加害者を利得せしめるものであり、むしろ、この場合、損害額の七〇パーセントを認容することこそ、証拠上肯定しうる相当因果関係の判断に即応し、不法行為損害賠償の理念である損害の公平な分担の精神に協い、事宜に適し、結論的に正義を実現しうる所以であると考える。

(6)  従って、再発以後の後遺症に基づく損害については、その七割を賠償額と見ることとする。

五、次に、被告は、原告が受傷後における治療過程初期において適切な診療を受けなかったとし、これに損害拡大の過失があると主張するのであるが、≪証拠省略≫によれば、そのような過失を肯認することはできず、この被告主張は採用できない。

六、被告は、更に、原告の現症に体質的・心因的なものが加味されており、通常損害の範囲を越える旨主張する。しかし、いわゆる通常損害・特別損害の区別が不法行為の損害賠償請求における損害の算定に関し当然に妥当するか否か疑いあるのみならず、いわゆる体質的な素因については既に先に相当因果関係の有無に関して判断する際顧慮したところであるし、いわゆる心因的症状の問題は、後遺症存続期間の判断に関し、次節で参酌するので、その上更にここでこれらに論及する必要はないであろう。

七、原告の後遺症およびこれに基づく労働能力喪失状態は今後どの程度継続すると見るべきであろうか。

(1)  これについては、症状が器質的なものであるか心因的なものであるかが影響すると考えられるが、≪証拠省略≫を総合すると、原告の現症状は他覚的所見が十分でなく、その限り心因的な要素の影響があるのではないか、との疑問を払拭することはできないが、主としては器質的な原因に基づく障害である、というを妨げない。

(2)  そして、右認定を前提として、前記各証拠を総合すると、原告の症状は今後次第に軽快し、労働能力も次第に増加してゆくではあろうが、請求原因第六項(五)のように、昭和四四年九月一日を基準として、最初の二年間は第二級、次の四年間は第四級、次の四年間は第六級、残る期間は第八級相当にまで回復し、また、請求原因第九項(二)(三)のように、第四級相当時には二〇%、第六級相当時には四〇%、第八級相当時には六〇%の程度にまでそれぞれ労働能力を回復するとは容易に認め難い(昭和三二年七月二日の労働基準監督局長通達によるいわゆる労働能力喪失率表がいずれも右数字の前提する喪失割合以上の数字を示していることも考え合せるべきである)。むしろ、前掲証拠からは、原告主張以上の後遺症等級および労働能力喪失が認められるというべきであるから、右原告主張は、原告が自己に不利な事実を先行的に陳述したものであるところ、被告はこれを明示的には援用するところがないが、弁論の全趣旨に照らし、相当因果関係が肯定される以上は黙示的に援用する趣旨であったと見て差支えないので、後遺症の緩和については原告の自白があったものと認め、いわゆる逸失利益の損害額算定については、これを前提とすることとする。

八、そこで、いよいよ損害額の算定に入ることとし、

(1)  まず、入院治療費の総額を見るに、≪証拠省略≫を総合すると、事故の当日である昭和四〇年一一月二七日から昭和四四年八月三一日まで間に、原告が転々治療を受けた要町病院、山川医院、大阪赤十字病院、東京大学附属病院、順天堂大学附属病院、日本赤十字中央病院、慶応大学附属病院、伊豆韮山温泉病院、加茂川病院、および鑑定のため入院した京都大学附属病院における治療費の総計は、二七八万〇〇七八円に達することが認められる。

しかし、右のうち、甲第五三号証の二万九四三〇円は、先に判示した鼠蹊部ヘルニアの治療に関するもので、本件とは関係ないことが認められるから、これを控除した額二七五万〇六四八円が所要の入院治療費額であったと認められるところ、再発時である昭和四二年一二月二四日以降の分は――甲第四三号証の検討により、同号証の七八万三二三六円中、再発時以後の分は三万三四四九円と判明するので――計三三万五六四五円となるが、前判示のとおり、この分については七割にあたる二三万四九五一円を認容すべきであるので、結局二六四万九九五四円が賠償すべき入院治療費額となる。

(2)  次に、付添看護料については、≪証拠省略≫によれば、付添看護の必要性を医学上肯定しうるのは、加茂川病院の手術当時昭和四二年三月一七日から同年四月二八日までと、歩行不能の症状を生じた同年一二月二五日以後との両期間であるが、後に判示する付添看護料の請求期間は、いずれも右期間中であるから、その必要性を肯定することができる。そうすると、≪証拠省略≫により、家政婦による付添看護料の総額は三二万六六五〇円であると認められるが、前判示のとおり、昭和四二年一二月二六日以後の分については七割にあたる一九万五五四五円を肯認することとすると、計二四万二八四五円となる。また、昭和四三年六月一五日までは家政婦による付添が継続的になされていたが、その後の期間は原告の母である訴外松村祗の付添と家政婦による付添とが入り混っていること、昭和四四年五月一六日以降は母祗自身が入院してしまったため付添なしの状態になったことが重盛証人の供述によって認められ、家政婦付添期間を示す≪証拠省略≫を検討することによって、母祗の付添がなされた期間は合計二六〇日に及ぶことが認められる。そして、この期間については、家政婦賃金との比較、原告本人の供述時の容態に徴し明らかな付添看護の量と質との考慮から一日一二〇〇円以上が相当であると考えられるから、その総額は三一万二〇〇〇円に及ぶべきところ、前示のとおり、七割を認容すべきものであるので、結局二一万八四〇〇円となる。従って、前記家政婦分と合せ、四六万一二四五円が賠償さるべき付添費用額となる。

(3)  原告本人の供述に徴して支出の必要性を推認しうる交通費および雑費としては、≪証拠省略≫により認められる額は計一三万八八一四円に及ぶが、前記同様、昭和四二年一二月二四日以降の分を七割と見ると、一三万八三一九円となる。原告の求める一〇万円はこれを下廻っているから、全部肯認しうる。

(4)  よって、治療関係の各種費用中認容しうるのは、総計三二一万一一九九円となる。

九、次に、原告主張の収入損すなわちいわゆる得べかりし利益の喪失による損害の額について考える。

(1)  ≪証拠省略≫を総合すると、原告は、事故に遭った昭和四〇年一一月二七日当時既に按摩師の免許を有し、東洋鍼灸専門学校本科を卒業し、鍼と灸についての国家試験に合格していたこと、更に整復師としての技術の修得を目指して同校特設の柔道整復科に通学し、そのかたわら、夜間は富士治療院(フジクラブ)に籍を置いてホテル等へ按摩治療に出張し、また個人的にも依頼あれば施術して収入を得ていたこと、昭和四二年三月には同科を卒業するので、独立開業して鍼・灸・按摩師として生計を立ててゆく計画であったが、これは、少なくとも六〇歳までは就労可能な職種であること、事故当時の収入は、富士治療院関係で一ヶ月平均三万三〇〇〇円以上、個人的依頼客関係で一ヶ月平均五五〇〇円以上で、仕事の性質上、多少の交通費以外経費の支出を要しないこと明らかであるから、両者を合せて一ヶ月三万八〇〇〇円の収益があったと考えられること、その後富士治療院では料金の値上げをし、昭和四三年二月当時には、事故当時に比し、按摩料が一回につき一〇〇円ずつ高くなっているので、個人的依頼客についても同様の値上がりが推定され、これによれば、治療回数等その他の条件を事故当時と同様にみた場合、少なくとも一ヶ月四万八〇〇〇円の収益があったと考えられること、前示独立開業後は、昼間(主として午後)通学していた時間も就労時間にあてうるので、収益は上廻りこそすれ下るとは考えられないこと、これらの諸事情を認定することができる。従って、事故後昭和四四年八月末までは一ヶ月三万八〇〇〇円、その後六〇歳に達するまで一ヶ月四万八〇〇〇円の収益を想定して逸失利益を論じようとする原告の主張は、正当というべきである。

(2)  そうすると、先に第七節(2)で示したように、後遺症等級の緩和してゆく期間と労働能力喪失の割合に関しては原告の自白があるので、右認定にかかる月収と自白にかかる緩和期間および喪失割合に即して、逸失利益を考えるべきこととなり、

(イ)  事故の日時から昭和四四年八月末までの四五ヶ月間は、第一級相当であり、労働能力喪失率は一〇〇%であるから、損害額は一七一万円

(ロ)  昭和四四年九月一日から昭和四六年八月三一日までの二年間は、第二級相当であり、労働能力表示率はやはり一〇〇%で、年収五七万六〇〇〇円とし、昭和四四年九月一日を基準日として、二年間の年五分の単利に基づく中間利息を控除することになるから、係数一・八六一四七一八六を乗じ、一〇七万二二〇七円

(ハ)  昭和四六年九月一日から昭和五〇年八月三一日までの四年間は、第四級相当、喪失率は八〇%であり、右同様の基準日で同様に中間利息を控除することになるから、係数三・二七二一二九三二を乗じ、一五〇万七七九七円

(ニ)  昭和五〇年九月一日から昭和五四年八月三一日までの四年間は、第六級相当、喪失率は六〇%であるから、同様にして、係数二・八一一三四八三〇を乗じ、九七万一六〇一円

(ホ)  以上四段の数字を集計すると五二六万一六〇五円となるが、先に判示したとおり、昭和四二年一二月二四日以降の損害額についてはその七〇パーセントを肯認すべきものであるし、また、一一月二九日から一二月一四日の退院までのヘルニア治療期間についても全額を肯認することはできない。ヘルニア治療は直接には本件事故と相当因果関係がないこと先に判示したとおりであるが、後遺症による逸失利益を論ずる際には右期間中および退院後一二月二四日までの労働能力の一部喪失状態を考えれば足りる。先に認定した諸般の状況から、これを七〇パーセントと見るのが相当と考えられるので、結局、昭和四二年一一月二九日以降について逸失利益損害額の七割を肯認すべきこととなる。計算の便宜上、これを一二月一日以降とみると、昭和四四年八月末までの四五ヶ月分が二四ヶ月と二一ヶ月とに区分されることになるから、前記(イ)の一七一万円は右によって修正すると、一四七万〇六〇〇円となり、また、(ロ)ないし(ニ)の合計額は、二四八万六一二三円となるから肯認せらるべき逸失利益額は、三九五万六七二三円となる。

一〇、次に慰藉料については、前認定にかかる諸般の事情、ことに、入院、通院年月、後遺症の状態と、原告本人訊問の結果認めえた原告の経歴、性格とから、原告が本件事故によって蒙った著しい精神的苦痛を慰藉すべき金額は、その主張どおり四〇〇万円を以て相当とすると考える。

一一、そうすると、原告が請求しうる金額は、後記弁護士費用を除いて、一一一六万七九二〇円となるが、右損害額中三一四万円は既に被告から原告に対し弁済のなされたことについては争いがないから、これを控除し、八〇二万七九二〇円となる。

一二、弁護士費用としては、右認容額と本件訴訟における訴訟活動とに鑑み、請求にかかる弁護士報酬中八〇万円を以て本件事故と相当因果関係ある損害として被告に賠償を求めうる額と認める。

一三、よって、原告の請求中、八八二万七九二〇円およびこの内弁護士費用相当額を除いた八〇二万七九二〇円につき前記基準日である昭和四四年九月一日以降支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分は正当として認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民訴法第八九条、第九二条を、仮執行宣言については同法一九六条を、各適用して、主文のとおり判決する次第である。

(裁判長裁判官 倉田卓次 裁判官 小長光馨一 裁判官並木茂は転任のため署名捺印することができない 裁判長裁判官 倉田卓次)

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